ハインツ・グデーリアン(Heinz Wilhelm Guderian, 1888年6月17日ドイツ、クルム生まれ – 1954年5月14日西ドイツ、シュヴァンガウ・ベイ・フッセン没)、ドイツの将軍、戦車専門家。 第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、装甲戦と電撃戦の主要な設計者のひとりとなり、第二次世界大戦初期のポーランド、フランス、ソ連でのドイツの勝利に決定的に貢献した。
第一次世界大戦で主に参謀として活躍したグデーリアンは、その後も軍に残り、装甲戦に興味を持つようになった。 1935年にアドルフ・ヒトラーの目に留まり、急速に出世し、彼の革命的なアイデアの多くを実践することができた。 彼の『Achtung! Panzer! (1937年、戦車に注目!)は、イギリスのフラー将軍やドゴール将軍の理論の多くを取り入れたもので、独立した装甲陣形と強力な航空・機動歩兵の支援により、敵陣に素早く侵入して戦場の機動性を高め、包囲運動で大量の兵員と武器を閉じ込めることを提唱している。 グデーリアンは、他の軍隊の改革的な同世代とは異なり、総司令官であるヒトラーに共感的な支持者を見出した。 1938年11月にドイツ機動部隊長に任命されたグデーリアンは、1939年9月のポーランド作戦でその理論の正しさを証明し、フランスを戦争から排除した英仏海峡沿岸作戦(1940年5月)の陣頭指揮をとった。 ロシア戦線ではモスクワ近郊まで到達したが、1941年10月に追い返された。 1941-42年の冬、ロシアの反攻を前に部隊を撤退させたことでヒトラーの不興を買い、解任されたが、1943年3月に装甲軍総監として復帰し、装甲車の生産の優先順位付けとその運用を指揮する権限を持つようになった。 戦車生産の簡素化と加速化を図り、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件後は参謀総長代理に就任した。 しかし、ヒトラーの妨害によりグデーリアンの行動のほとんどは無効となり、1945年3月5日に辞職した。 著書に『ある兵士の回想』(1951年、英文版『Panzer Leader』)
がある。